まだ大手を振って旅行が出来る雰囲気ではないのだが、ちょっと野暮用があって神戸まで行ってきた。そこで空いた時間をみつけ、手に入れたばかりのDFA★85mmF1.4と、お気に入りの旅レンズFA31mmF1.8AL Limitedを持って散歩をしてきた。
歩き回ったのは特に有名な観光地ではない。海が近い神戸の普通の下町の街角だ。いや、街並みは普通だとしても、岸壁に出ると今となってはとても珍しい浮きドックがあったりする。
神戸港には大型船が出入りし大きな造船所もあるのだが、その周辺にはこうして無数の小型船と小さな造船所があって、普通に岩壁を散歩することが出来る。
港には古くて小さな船がたくさんいた。何に使う船なのか、そもそも現役なのかもよく分からない。でも、やっぱり鉄分は良い。機能美を感じる。
この一帯を歩き始めたとき、最初は自分が暮らす東京の下町に近い雰囲気を感じた。細くて入り組んだ路地に小さな住宅が建ち並び、町工場とちょっとした商店がところどころにあって、隙間を埋めるように車が停まっていたりする。
その中にマンションが建ち並ぶ様子も含め、東京や神戸だけでなく、日本国内のちょっとした都市の住宅地には良くある街並みと要ってしまえばそれまでかも知れない。
しかし、奥深く探索していくうちに、やっぱり東京の下町とはどこか違うと感じ始めた。どう違うのかは説明できない。が、ここは絶対に東京ではない。
路地を歩いていると忽然と現れたメッセージにドキッとする。
空き地に囲まれたこの細い路地は、以前はアーケード商店街だった。この写真のずっと突き当たり、今は高層マンションが建つ向こう側は、25年前の阪神淡路大震災で高速道路が倒壊したまさにあの場所だ。この一帯も甚大な被害を受けたそうだ。
今となっては在りし日の商店街の痕跡は、タイル張りの地面にわずかに残されているだけだ。こうなってしまったのは時代の流れの影響が大きいのだろう。しかしだからと言って「仕方がない」とは簡単に納得出来ない、そういうやり場のない思いが涙の原因なのかも知れない。
そういう目で改めて見直してみると、この一帯は「意外」なくらいに古い建物が多い。
倒壊したり火災に遭って失われたものはたくさんあったに違いない。それらを免れたとしても、この25年の間に壊されていったものもたくさんあるはずだ。が、一方で残っているものもたくさんあるのだ。しかし、それらも次第に姿を消していくのだろう。