最初に断っておくが、佐倉城に出かけていったのは2年前の2018年3月末のことだ。何となく記事にすることなくお蔵入りとなっていた写真をNASの中から引っ張り出してきた。
COIVD-19感染拡大により東京周辺では外出自粛が必要とされる中、新たに写真を撮りにどこかに出かけて行くことは今はできない。なので、この際過去ログというか過去写真を振り返って思い出でいくつか記事を書いてみようと思っている(あくまでも予定では…)。この佐倉城レポートはその第一弾だ。
佐倉市は東京東部からはとても近い。京葉道路と東関道を使えば1時間もかからずに行くことができる。でも訪れるのは初めてだった。
Exifを見ると撮影日は2018年の3月25日。この年も桜の開花は早く、この時点で東京都心ではソメイヨシノがほぼ満開になっていた。そして佐倉城趾は桜の名所でもある。混雑するかも知れないと思って、かなり朝早くに出かけていった。
佐倉城の歴史はそれなりに古く、関東の端っこの方にありながらも戦国時代にはすでに築造されていたそうだ。関東の古い城らしく石垣ではなく堀と土塁で縄張りが造られた平山城だ。
この風景見て、城好きならピンとくるはずだ。いや、ここは城跡と分かっているのだから当たり前かも知れないが、この凹みは空堀の跡だ。なお、この写真は設定ミスでISO1600のまま撮ってしまった。ただ、光がたっぷりあるとごく普通に写ってしまうのがすごい。
土塁には木や草が生い茂り、遊歩道になっている。
江戸に近いという地勢的なこともあってか、江戸時代は幕府にとって要衝だったようで、幕閣の中枢を担う老中を全国で一番多く排出したのがこの佐倉とされている。逆に言うと老中を務めるような重要人物に与えられた土地と言うことなのだろう。
しかし、明治維新を迎えたあとも千葉は東京に近いためか、この土地には陸軍の兵営が置かれることとなり、大変残念なことに佐倉城の建物はほとんど完全に解体されてしまった。
唯一残っている建造物はこの小さな薬医門だけだ。これも、佐倉城解体の際に地域の造り酒屋に移築され、さらにはお寺に再移築されて使われていたもので、巡り巡って城趾を整備した際に佐倉城に再々移築されたのだそうだ。
何でもないような小さな門だし、今は無造作に放置されているのだが、実は長い歴史を背負っている。
佐倉城時代の遺構よりもむしろ陸軍時代の遺構のほうが多く残っている。時代的に新しいのだから仕方がないことだ。これは兵舎のトイレ跡だそうだ。ほほぅ…。
さて、そんな佐倉城跡だが、本丸跡は広大な広場となっており、普通の城跡と変わらない風景が広がっている。そして立派な桜の木に囲まれている。これは素晴らしいお花見ポイントだろう。しかし、東京都心とは違ってこの日はまだ5分咲きくらいだった。
しかも雰囲気的にソメイヨシノではなかったと思う。お天気が良くて最高のお花見日和だったが、満開になるともっとすごいことだろう。是非また見に行きたい。
更にずっと奥の方、高い土塁に囲まれた出丸跡には、日が差さずに薄暗いなかにやはり桜の木が並んでいる。これはまたガラッと雰囲気が変わって格好良い。でも写真に撮るのは猛烈に難しい…。
城跡としての風情には欠けるのだが、陸軍時代も含めた歴史の痕跡を楽しむことが出来る。さらに自然も豊かでただの散歩道としてとても良いところだった。
春だけじゃなくて秋は黄葉とか落ち葉の季節もとても良いらしい。幸い地元からとても近いので、すでに100名城スタンプはゲットしてしまったが、またいろいろ収まった頃に出かけてみたい。
そう言えば、佐倉城趾のすぐ横には国立民俗歴史博物館があるし、佐倉市街には武家屋敷もいくつか残ってるらしい。それらも見に行かなくては!と思っている。