Nikon D500とAF-S200-500mmF5.6を手放してしまった。中古で手に入れたのが2018年の春過ぎだったから、約2年ちょっとということになるが、感覚的にはもっと長く使っていたような気がする。
とにかく動体撮影には本当に頼りになるカメラで、初めて使ってみた時はビックリしたものだ。なんだ「動体撮影ってこんなに簡単なのか!」と。そのファーストインプレッションは色んな意味で勘違いではあるのだが、いずれにしろ、Nikon D500は現時点でも動体撮影機としてはトップクラスの性能を持っているすごいカメラなのは間違いない。
それなのになぜ手放すことにしたか?と言えば、簡単に一言でまとめるなら「もう十分満足してしまった」という感じなのだ。来るPENTAX K-3 Mark IIIが全方位的にD500の上を行くとは思っていない。でもだからと言ってD500のままでいいや、ということにもならない。この微妙な気持ちを分かってもらえるだろうか?
さらにK-3 Mark IIIは来年発売なのだから何も今すぐD500を手放す必要はない… というのも正論なのだが、一度気持ちが離れてしまったら、後腐れなく一刻も早く別れてしまいたいものだ。分かってもらえるだろうか?(二度目)
ということで、このエントリーではこの2年半の間にNikon D500で撮影した写真を振り返り、良いカメラだったなー、手放すなんで勿体ないなーと、名残惜しんでみたい。
Nikon D500, AF-S 500mmF5.6E PF ED VR, f9.0, 1/40sec, ISO100, 0EV
D500で撮影した中で最も記憶に残ってる一枚はこれだ。2018年のF1日本GP、鈴鹿のスプーンカーブに飛び込んでくるメルセデスのルイスハミルトンを1/40secで流したショットだ。
ほとんど偶然の賜物ではあるのだが、D500もさることながら、この時借りていた500mmF5.6PFが特に素晴らしかった。こういうレンズがあるからこそボディのAF性能や連写性能も生きてくるのだろう。
Nikon D500, AF-S 200-500mmF5.6E ED VR(420mm), f13, 1/100sec, ISO100, 0EV
F1はAF性能も連写性能も必要だし、手ぶれ補正は正確な流し撮り検知性能が求められるなど、動体の中でもかなり厳しい被写体だ。もちろん一番必要なのは撮影者のセンスと腕なのだが、機材の力でかなりの部分をカバーできる。とにかく数を撃てば偶然当たることがある。
Nikon D500, TAMRON AF 16-300mm F3.5-6.3 Di II VC PZD(300mm), f6.3, 1/250sec, ISO125, 0EV
結局、D500は2018年と2019年の2回にわたってF1日本GPを撮った。鈴鹿では雨にも降られたし、1日中直射日光を浴びたりもしたし、砂埃舞う中で使ったりもしたが、もちろん何も問題はなかった。
AFや連写だけでなく、信頼性から細かいところの操作性まで含めて、アマチュアにとってはこれ以上ないと言えるくらい、動体向けにはほぼ完璧な1台だったと思う。
Nikon D500, AF-S 200-500mmF5.6E ED VR(300mm), f5.6, 1/1250sec, ISO100, 0EV
さて、D500で撮ったセカンドベストなカットと言えばこれだろうか。2018年の夏、百里基地に遠征してきたアグレッサーを撮ったものだ。
天候のせいかヴェイパーはほとんど出ず、アフターバーナーの炎もほとんど写らなかった。とにかくファインダー内に機体を収めることで精一杯で、シャッターを押し続けただけだが、想像していたとおりの”ひねり”の絵が撮れたという満足感がある。
Nikon D500, AF-S 200-500mmF5.6E ED VR(280mm), f9.0, 1/320sec, ISO100, 0EV
思い返せば、K-3 IIからすぐにD500に乗り換えたわけではない。途中で「そろそろミラーレスの時代かも?」と思い、FUJIFILMのX-H1を試してみたのだが、動体撮影にはまったく役に立たなくてすぐに手放してしまった。まだ早すぎたのだ。
冒険が失敗した反動で、安全確実な鉄板動体機ということで手にしたのがD500だった。さすが一眼レフ。さすがニコン。さすがD500。これなら自分みたいなへっぽこでもちゃんと撮れると言うことを確認したら安心してしまい、結局この時以来百里基地には行ってない。D500にとってこれが最初で最後の戦闘機撮影になってしまった。今年はコロナ渦になったこともあるが、なんとなく今はいろいろとこの手の動体撮影に対するモチベーションが消えてしまったのだ。
無理して撮るものではないので、自然と気持ちが戻ってくるのを待つしかない。
Nikon D500, AF-S 200-500mmF5.6E ED VR(500mm), f8.0, 1/1000sec, ISO100, 0EV
そう言えば、コロナ渦と言えば、こんなこともあったっけ…。
Nikon D500, AF-S 200-500mmF5.6E ED VR(500mm), f7.1, 1/800sec, ISO100, 0EV
成田や羽田周辺で旅客機も色々撮った。これは2019年の春、就航前の慣熟飛行中のFLYING HONU 1号機だ。その後、就航から1年も経たないうちに無用の長物となり、飛べない日々がやってくるなんて思いもしなかった。
先行きは不透明だがなんとか復活できる日が来ることを願っている。とりあえずお祭り気分の中で飛んでいるピカピカのFLYING HONUを撮っておけて良かった。
Nikon D500, AF-S 200-500mmF5.6E ED VR(500mm), f7.1, 1/800sec, ISO100, 0EV
普通に空港で旅客機を撮るにはD500はオーバースペックだったと言っても良いかもしれない。いや、性能は良いに越したことはない。余裕は無駄とは言えない。が、旅客機相手に秒間10コマ連写はやり過ぎな気がするのだ。無駄なカットが増えるばかりだ。
もちろん、そんな撮り方する方が悪いのだ。旅客機に限らず動体の正しい撮り方は、ここぞというタイミングの前後でバババッと数枚のみ連写するべきなのだろう。
Nikon D500, TAMRON AF 16-300mm F3.5-6.3 Di II VC PZD(35mm), f10, 1/400sec, ISO100, 0EV
Nikon D500, TAMRON AF 16-300mm F3.5-6.3 Di II VC PZD(22mm), f4.0, 1/60sec, ISO100, 0EV
飛行機とF1以外の用途にはほとんどD500は使わなかった。ときどきブツ撮りをしたり、WEBカメラとして使ったことがあるくらいだ。
ファインダーは高倍率でクリアで色付きはないのだが実は細かい不満があった。シャッターフィールも切れと締まりがあってとても良いのだが、なんだか大げさな感じがしてリズムが崩される。
そもそも使っていたレンズが悪かったのかも知れない。特に標準域をカバーする超高倍率ズームは写りもひどかった。しかし、逆に言うとFマウントに投資する気にさせる何かがD500からは感じられなかった。最初からもっと良いレンズを使っていたら印象は違っただろうか?
言いがかりついでにさらに言うと、飛行機とかF1を撮りたい!という情熱が冷めた理由もまた、このD500をのせいではないかと思っている。その心は?と問い詰められても上手く説明できない。自分の腕や撮れた写真の出来を棚に上げたうえで、勝手に「あがり」に達した気になってしまったような気がしている。
いずれにしてもこの分野のベンチマークとして、D500を体験できたことはとても良い経験となった。一度気持ちをリセットして、K-3 Mark IIIで出直そうと思っている。いろいろとスペック上で心配があるK-3 Mark IIIだが、それもD500を経験したからこそ、むしろあまり気にならず、大きな心で迎えられる気がしている。