12年前のNHK朝ドラ「あまちゃん」のロケ地などを巡る旅 #2

2025-04-11

 前回からの続き。一夜明けて二日目は朝5時過ぎの大浴場から始まった。本当はギリギリまで寝ていたかったのだが目が覚めてしまったので仕方ない。

ホテル羅賀荘からの眺め

 なおホテルの部屋からの眺めはこんな感じで本当に海の目の前だ。大浴場はもっと低い階層にあったが眺望はだいたい同じだった。晴れていれば綺麗な日の出が見えたはずだ。

島越駅

 この日もさらに海岸線を南下して宮古方面へ移動する。ホテルをチェックアウトしてやってきたのは田野畑村の島越地区にある三陸鉄道の島越駅。あまり明確にはされていないがここも「あまちゃん」のロケ地であり、東日本大震災の爪痕が残る震災遺構でもある。

島越駅

 島越駅の駅舎。もちろん震災後に再建されたものだ。とても立派な駅舎で中には展示スペースや売店などがある。
 

震災前後の島越駅の写真展示

 このシンプルなパネルを見るだけでこの駅がどうやって現在の状態になったのかをざっくりと知ることができる。

 この駅が受けた被害と再建に至る経緯については、テレビのドキュメンタリー番組で見たことがあった。そしてあまちゃんの放送後何年かしてから、鈴鹿ひろみ役を演じた薬師丸ひろ子さんがこの駅前で潮騒のメモリーを歌ったときの映像がとても印象に残っている。
 

思い出の島越駅周辺模型

 「思い出の島越 復元模型」と題されたジオラマ。深い谷状の入り江とその中を流れる川沿いに家が建ち並び、小さな集落があったことが分かる。三陸鉄道はその海側を高架橋で横断していた。駅と道路は再建され大きな防潮堤が築かれたが、この集落の面影は今はほとんどない。
 

旧島越駅の階段

 震災以前にあった旧島越駅は現在の駅よりも南側、島越地区を挟む2つのトンネル間の真ん中当たりにあった。そこに駅舎へと登る階段の一部が震災遺構として残されている。駅も高架橋もほとんどのものは全壊し流されてしまったが、この階段と脇に取り付けられた鉄製のポールはグニャッと曲がりながらもこの場に残っていたそうだ。
 

防潮堤を兼ねる高架

 新たに作られた三陸鉄道の線路は防潮堤を兼ねているかのような作りになっている。島越地区と鉄道の再建のために多大な労力が使われたことがこの周辺の景色から良く分かる。
 

田野畑村島越地区の津波表示塔

 旧島越駅の遺構脇に建つこのポールは、この地区に襲来した津波の高さを表しているそうだ。高さは17.9mもある。唖然として見上げることしか出来ない。
 

島越駅のホーム

 島越駅のホームに出てみた。宮古方面の眺めはこんな感じで、向こうにはまたすぐに山とトンネルが見えており、ここがリアス式海岸特有の谷地形であることが分かる。

 あまちゃんのロケ地を示す例の看板は立っていなかったが、ドラマの後半で、ついに東京を目指すことになったユイちゃんが宮古行きの列車に乗車中に東日本大震災に遭い、大吉さんとともにトンネルの出口から呆然と津波に破壊された線路と集落の惨状を目にするシーンが撮影されたのは、まさにこの島越地区だ。
 

島越から田野畑へ切符

 この駅は公式には無人駅なのだが、実際には業務を委託された地元自治会の方がいて、窓口で切符を買うことができた。わずか一区間だけだが島越から田野畑を往復してみることにした。硬券の切符も珍しい。

 そして駅から田野畑方面すぐに見えるこのトンネルこそが、ユイちゃんと大吉さんの乗った車両が地震で停車し、津波の直撃を免れ命拾いすることができたトンネルで、ロケはあのトンネル出口付近で行われたと思われる。
 


 そうこうしているうちに宮古方面から久慈行きの列車がやってきた。これは「三陸元気!GOGO号」ではないか!車体は「あま絵」と「のん絵」でラッピングされている。
 

三陸元気!GOGO号 車内

 車内も同様に「あま絵」と「のん絵」であふれている。平日の朝早い久慈行きの列車にはほぼお客さんは乗っていなかったので、写真撮り放題はしゃぎ放題だった。
 

三陸元気!GOGO号 のん絵とサイン

 この「のん絵」部分下の方には のん さんによる直筆サインも書かれている。車体の外側にもサインしたそうだが、それはさすがに消えてしまっていたようだ。

 ↓三陸元気!GOGO号に関する参考動画はこちら

 

田野畑駅

 乗車区間はわずか一駅ということであっという間にとなりの田野畑駅に到着した。

田野畑駅で 三陸元気!GOGO号 を見送る

 名残惜しいが田野畑駅で降りて「三陸元気!GOGO号」を見送った。
 

田野畑駅

田野畑駅の事務所窓口 田野畑駅の待合室入り口

 田野畑駅は島式のホームがあって、列車のすれ違いが可能となっている。昨夜泊まったホテル羅賀荘の最寄り駅でもある。小さな街の中にあって海沿いでもないし、特にこれといって特徴はない駅のように見えるが、ここもあまちゃんのロケが行われた駅だ。ドラマ中では「畑野駅」と呼ばれ、足立家の最寄り駅だったり、種市先輩の見送りでアキが南部ダイバーを熱唱したりもした。
 

田野畑駅から宮古方面の列車車内

 30分ほど待って宮古方面行きに列車に乗って折り返す。トンネルが多く沿線風景を楽しめる場所ではないが、このローカル感はなかなか良い。先ほど乗った久慈行きの列車と違って、こちらはそれなりに乗客がいた。観光客と地元民らしき人の比率は半々くらいだろうか。
 

AEONカード ラッピング車両

 ということで、あっという間の列車の旅も終了し島越駅へ戻ってきた。とりあえずアリバイとして乗車しただけになってしまったが、乗り鉄旅をしているらしい人たちもちらほらいて、それはそれでアリというか、いつかやってみたいと思う。

おまけ:田老の震災遺構、三王岩、浄土ヶ浜、盛岡城

 以上で「あまちゃん」関連の聖地巡礼の旅は終了だ。この日の後半はそれ以外のところを少し巡ってきたが、記録のためにざっと端折って以下に少し写真を貼っておく。

たろう観光ホテル

 たろう観光ホテルの津波遺構。前夜に泊まったホテル羅賀荘は復旧できて、ここが出来なかったのはいろいろな事情の差があるのだろう。事前にGoogleマップで見て、どういうところか分かっていても現地を見ると言葉に詰まる。
 

たろう観光ホテル前の1級登記基準点

 たろう観光ホテル前にある1級登記基準点は、地震による地殻変動で元の位置から南東方向に2.18m移動し、0.31mほど地盤沈下したそうだ。
 

三王岩と津波石

 田老の市街地のすぐそば海沿いにある景勝地、三王岩にやってきた。海上に聳える三つの岩、三王岩は地震と津波に耐え、以前とそれほど姿は変わっていないらしい。しかし手前転がっている約30トンの巨石は、大津波により約30mほど陸地側に転がってきて今の位置に来たのだとか。
 

不屈の三王松

 三王岩と津波石のすぐ横、崖沿いに聳える1本のヒョロッとした松の木。この松は津波前からこの位置に立っており、生き延びたもの。そのため「不屈の三王松」と名がつけられている。たろう観光ホテルをあそこまで破壊し、30トンの石を30mも転がした大津波に耐えて生き残っているなんてすごい!
 

浄土ヶ浜

 さらに三陸の海岸線を南下し、宮古市までやってきた。宮古の沿岸部には浄土ヶ浜という景勝地がある。ここでまた海を見ながら一休み。平日なので静かでとても空いていた。入り江のせいか波も穏やかだ。船に乗ると「青の洞窟」に行けるらしいが時間がないのでパスしてしまった。
 

盛岡城 盛岡城

盛岡城

 盛岡に戻り新幹線の時間までの時間調整で盛岡城に立ち寄った。市街地のど真ん中にある平城で、建物は何もなく本丸周辺の石垣と堀の跡が公園となって残っている。そしてさまざまな石碑が建てられているのもいかにも城跡っぽい感じだ。

 なお、石川啄木の有名な歌「十五の心」が詠まれたのはまさにこの城跡だそうだ。雨上がりなのに地面に寝転がっている人がいるわけだ……
 

 盛岡城スタンプ

 こんなこともあろうかとちゃんと100名城スタンプ帳も持ってきていた。最近全く進まなくなってしまった日本100名城スタンプ集めだが、それでもこれで56個目ゲット。じわじわと進んでいる。宮城県以北の東北はまだ未到達の城だらけなので何とかしたい。
 

仙台の厚切り牛タン 仙台の厚切り牛タン

 盛岡からは新幹線で一路東京に……とまっすぐ帰るのが普通だが、仙台で途中下車して牛タンを食べてしまった。翌日が肉の日だったのでこれは仕方がない。分厚い仙台の牛タン焼肉は超美味しかった。
 



 

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