黒島を一周した翌日は西表島へ渡った。八重山諸島の中でも最も大きく、恐らくもっとも奥が深いであろう西表島は、むしろどこを見に行けばいいのか分からず、自分のようなカジュアルな観光客にとっては、かえってハードルが高いと感じていて今まで訪れたことがなかった。
しかしもはや変な遠慮をしている場合ではない。石垣島から高速船に乗って約50分。八重山のビッグアイランドこと、西表島の大原港に上陸し、そこからレンタカーで走れる範囲を端から端まで走ってみることにした。
水牛車に乗って八重山民謡を聴きながら由布島に渡る
まずやってきたのは由布島へ渡る水牛車乗り場。
朝一の便は9:15となっていたが9時前には到着していて、チケット売り場が開くのを待ち、その後は水牛車の準備が出来るのを待っていた。他のお客さんはまだほとんどおらず、準備中の水牛さん達の様子を勝手に写真を撮らせてもらうことが出来た。
お天気は昨日よりも良くなったが、この通り雲が多めでそんなに良くはなさそうだ。風もそこそこあってさざ波が立っている。
凪いだ海面に青空を反射する中を水牛車が渡っていく、あの有名な最高の景色は残念ながら見られそうにない。だから今日もまたいつの日にかのためのロケハンと思うことにしよう。
現在由布島は全体が「亜熱帯植物楽園」と呼ばれる植物園になっていて、完全に観光施設化されているが、元々は人が暮らしており水牛も農耕用に使われていたそうだ。転機が訪れたのは1969年、大きな台風によって壊滅的な被害を受け、その後多くの人が西表島側へ移住し、無人化したとのこと。
今では綺麗に整備された島内には所々こうして人が暮らしていた時代の遺構が残されている。綺麗な植物も良いが、こういうのがとても気になる。
由布島を訪れたらぜひ見ておきたかったのがこれ。2020年10月に西表島の北部に漂着しているのが発見された気仙沼市の杭だ。東日本大震災から9年ほどかけてここに流れ着いたものと言われている。現在は由布島のマンタの浜入り口付近に移されて、こうして誰でも見ることが出来るようになっている。
気仙沼の杭のすぐ横には由布島茶屋という小さなカフェがあったので、開店と同時にジェラートを食べた。泡盛という気になるジェラートもあったのだが、ここは西表黒糖と石垣ミルクのダブルにした。超うまい!
食べ終わって一息ついたらジェラートを買うために長蛇の列が出来ていた。超人気店なのだろうか。開店とともに食べておいて良かった。
由布島はそんなに広くはないしサクッと回ることも出来るはずなのだが、なんだかんだで思ったより長居し、1時間半くらい経っていた。とはいえまだ午前中のことで、西表島に帰る水牛車もまたほとんど貸し切りだった。
御者のお兄さんはフォトグラファーもやっているそうで、しばしカメラ談義をする。「そのピークデザインのトラベルバッグも良いですよね〜」とか。由布島でそんな話を誰かとすることになるとは思わなかったけどちょっとうれしい。
八重山諸島は全体的に夕陽の名所は多い(沖縄本島含めてそうかも)ものの、由布島は西表島の東にあって数少ない朝日の名所なのだとか。「次回もぜひ朝一で訪れてください。晴れて海が凪いでいれば美しいリフレクションが撮れますよ」と。その光景を想像しながら牛車に揺られて西表島に戻った。
なお竹富島同様にこの水牛車でも御者さんは三線をかき鳴らしながら八重山民謡を歌ってくれる。行きは有名曲「月ぬ美しゃ」で、この方は本当に民謡歌ってる人なんだろうなと思わせる特に素晴らしい歌声だった。帰りは由布島音頭という初めて聞く軽快で楽しそうな曲を歌ってくれた(せっかく動画を撮ったのだが映像はともかく肝心の音が風切り音でどうにもならないのでボツにした)。
イリオモテヤマネコ(の像)に出会う
西表島といえばイリオモテヤマネコ、だがそう簡単にそこら中にいるわけではない。とはいえ大原で借りたレンタカーには特殊な装置が付いていて、道路を走っているととにかくヤマネコを牽かないようにと、直近の目撃情報や事故履歴のある地点でいちいち注意を促すメッセージが流れる。そんなにあちこちに出没するのか!というくらいの頻度で。
しかしながら時間帯の違いなどもあるのだろう、結局路上でイリオモテヤマネコに出くわすなんてことはなかった。
その代わりと言ってはなんだが、何カ所か道路沿いにあるイリオモテヤマネコ像を見てきた。↑これは島の北部、船浦付近の海中道路付近にあるイリオモテヤマネコ像。雄大な原生林の山と川をバックにキリリとしていて格好イイ。
そして次は島の東部、後良橋ロードパークという場所にあるイリオモテヤマネコの親子像。親猫の姿は先ほどの像とほとんど同じでキリッとしているが、その足下でじゃれ合う2匹の子猫はまさにネコでかわいい。
ちなみにこの親子像の脇にある橋の上からは、後良川沿いに広がる雄大なマングローブ林を見渡すことができる。西表島と言えばカヌーに乗ってマングローブの森の中から、山深くへと入っていくツアーがあって、それこそが醍醐味なのだろう。いつの日かやってみたい。
これは大原の街中にある郵便局にいたイリオモテヤマネコ像。どことなくシーサー風味。
最後はおまけというか番外編だ。これは西表島ではなく石垣島にあるイリオモテヤマネコ像だ。2025年の大阪万博でフランス館に展示されていたイリオモテヤマネコの銅像だ。瀬戸優さんという彫刻家の作品で、なぜこれが竹富町で制作され、大阪万博のフランス館に展示されていたのか?という経緯については↓以下のページに解説がある。
会期中フランス館は大盛況で大変な混雑だったそうだが、万博終了後に竹富町にもどってきたこのイリオモテヤマネコ像は、広く一般に見てもらいたいということで、なんと石垣島の中心地とも言える730交差点の一角に設置されている。
現地は本当にあっけないほどひっそりとしていて、立ち止まる人もほとんどおらず、夜だと特に照明も特になくて見つけるのに少し手こずったほどだった。そうか、これが万博期間中にもSNSにしきりに流れてきていたあのイリオモテヤマネコ像の実物なのか。
普通に触れることも出来る状態だが、触れるのもなんだか憚られる気がして、じっくりと眺めて写真を撮るだけにした。
星砂の浜で牛そばを食べる
次に星砂の浜へ立ち寄ってみた。島の北西部で、船が到着した大原からはほとんど真反対側へやってきた感じだ。
駐車場から細い道を下っていく。入口付近の看板もとても雰囲気が良い。
星砂で有名な浜といえば沖縄にはいくつかあって、八重山諸島でも竹富島のカイジ浜とともにこの西表島の星砂の浜の名前が挙がる。もっと秘境のビーチみたいなところかと思っていたが、わりとダイナミックな岩と砂浜が作り出すこの景観は、どこか東北の松島とか浄土ヶ浜みたいな景勝地のような趣もあって不思議な感じだった。
竹富島のカイジ浜では星砂の量は以前と比べてかなり減ってしまっていて、かなり真剣に探さないと見つからない状態だったが、ここはどうだろう? と思いつつ去年カイジ浜で教わった方法(浅瀬の岩の凹みに溜まっている砂に少し濡らした手のひらを押し当てる)で星砂の取れ具合を確認してみると……
なんと星砂だらけではないか! これはすごいと、その場に居合わせただけの他の観光客の人たちとともに盛り上がってしまった。もちろんこれでも昔と比べて激減しているのかもしれない。あるいはこの日がたまたまそういうコンディションだったのかもしれない。しかし、いずれにしてもここは紛れもなく「星砂の浜」であることを確認することができた。
星砂の手触りをたっぷり味わって満足したところで、浜への坂道を少し上がったところにある「ほしずな亭」という食堂に寄り道した。観光地にある割りにはかなりローカル色が強い。店の中を覗いてみると、どうも地元の常連さんしかいないようだ。ちょっと怯んだが、東京から約2,000km、せっかくここまで来たからにはと意を決して入ってみた。
老夫妻が2人でやっている小さな食堂。フロア係らしきおじいさんに無言のまま目で合図された席に座ったものの、そのまま放置の時間が続く。店を見回しグラスとウォーターサーバーを見つけ、セルフサービスかな?と思って水を注ぎに行く。その後どうしたものかとしばし悩んだ末に、厨房近くまで出向いて「牛そばひとつください!」と奥に向かって叫ぶと、またさっきのおじいさんと目が合って、その顔つきからどうやら注文を受け付けてくれたっぽい感じが伝わりとりあえず一安心する。
その後しばらくしておじいさんが出てきて、水のお代わり用のポットをドンっと、これまた無言でテーブルに置いていってくれた。結局その後周りの様子をいろいろ観察していて理解したのは、この店ではとにかく席に座ってじっと待っていれば、おじいさんのペースでちゃんと接客(お水の配布と注文取り)はされることになっているようだ。焦って変なことして急かしてしまったみたいになって悪いことをしたのかも?と、むしろ少し反省。でも別におじいさんも気を悪くしてる様子はない。
ということで、注文後わりとすぐにやってきた牛そば。なんと素晴らしいビジュアルなのだろう。牛肉はほろほろで旨味にあふれていて量もたっぷり。ダシと牛肉のバランスが絶妙だった。麺は普通の沖縄そばや八重山そばとは違って、何か隠し味が入っていたような気がする。甘みが強かったというか何というか。とにかく美味しかった。
最後の関門はお会計だが、それはタイミングを見計らってうまくいった。最後には「今日は暑いね。夏みたいだからね。気をつけてね」と世間話をしてくれるくらい打ち解けた。というか、相手側は最初からそういうペースだったのだろう。遠くからやってきた一見さんだな、って感じで優しくしてくれていたことに気がつく。
そういえばこういう感じってときどき沖縄ではあるよね、などと知った風に思い出しつつ、料理の味の良さはもちろん、この食堂の雰囲気全体的に大満足だった。これは地元民にも観光客にも人気店なのは頷ける。
西表島は一日で回るには奥が深すぎる。それを言うなら他の島も全てそうなのだが、西表島は特にそうだと思う。だから鳩間島にも渡ってみたかったし、遊覧船に乗って山奥の滝も見に行きたかったし、陸路では行けない船浮にも渡ってイダの浜も見てみたかったけど、どれも往復の船の時間を考えると日帰りでは無理だ。またの宿題としておこう。
西表島は道路が周回も横断もしていないので一周することは出来ない。なので上原港から車で到達可能な一番奥地、白浜までは行くことが出来た。ここに特に何かがあるわけではなく、行けるところまで行ったぞという自己満足のために。
南風見田の浜で忘勿石(わすれないし)を見る
白浜から折り返して大原港まで戻ってきたが、あと1時間くらい時間があったので白浜とは逆側の端っこにあたる南風見田の浜へ行ってみることにした。
ここにぜひ見ておきたいものがあったのだ。それが忘勿石だ。
わりと大きな駐車場が整備されておりこうして看板やゲートが設置されている。いわゆる「観光地」というのとは少し違うと思うのだが、この地域、離島の生活と歴史においてはいろいろな意味で重要な場所なのだと感じる。
ゲートをくぐり整備された遊歩道を下っていくと、そこには綺麗なビーチが広がっている。ここが南風見田の浜だ。ただしここはただ綺麗なだけの砂浜ではない。いや、綺麗なことに変わりはないのだが、約80年前にこの景色からは想像できない過酷で悲しい出来事が起きた現場でもある。
砂浜の隅っこにこのような立派で巨大な記念碑が建っている。これが忘勿石の碑だ。見ての通りこれ自体はそんなに古くはない。
この美しい南風見田の浜は、昭和20年春から夏にかけて、波照間島の住人全員が日本軍の軍命によって強制的に疎開移住させられた場所だ。当時の西表島のこの一帯はマラリアの有病地であり、その結果波照間島の住民のほとんどが医療体制のない中でマラリアにかかり、その後帰島ががかなったものの、最終的に1/3の方が命を落とした。
この惨劇について、当時の波照間国民学校の校長であった識名信升という人が、臨時の学校が置かれていたこの海岸の岩場に「この出来事を忘れるな」という意味を込めて「忘勿石 ハテルマ シキナ」と刻んだものが、戦後しばらくして発見されたという経緯があるそうだ。
先ほどの立派な碑の上に乗っかっているのはレプリカで、本物の忘勿石は碑のすぐ横にそのままの状態で保存されている。うっかりしていると立派な碑のほうだけ見てこちらには気付かないかもしれない。そういう自分も最初は実物を見つけることが出来ずに、一度入口まで戻って案内図を見直して、やっと発見したほどだ。
この出来事については以下の本を読むと経緯を知ることができる。当時を知る人たちの証言がまとめられ、事実関係の洗い出されて淡々と書かれているだけにリアリティがすごい。Kindle版もあるのでもし興味があればぜひ。
なお戦争マラリアの問題は波照間だけで起きたことではなく、石垣島はじめ八重山諸島全体で発生していた。その背後には軍がどのようにこの地域を見ていたかをうかがい知ることができる。石垣の中心部には資料館もあるので、そこへ行けばもっと全体像を知ることができる。
おまけ。CPLフィルター付きで適当な設定で撮っていたら微妙に流し撮りになった水牛さん。






























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