また少し間が空いてしまったが、今回は書くのをさぼっていただけで読む方はいろいろ読んでいた。ここではその中でも特に印象深い3冊をあげておこうと思う。2月頭に出かけた函館旅行の影響を多分に受けている。
蝉かえる/櫻田智也
単行本は2020年に発行済みで、第74回日本推理作家協会賞と第21回本格ミステリ大賞を受賞するなど、第1作よりも評価が高いようだ。それが2月にようやく文庫化されたということで、読んでみることにした。
第1作目の「サーチライトと誘蛾灯」はストーリー的に面白かったものの、今ひとつ世界観に入り込めないところがあって、実のところこの本もあまり期待せずに読み始めた。しかし第1話目にして表題作である「蝉かえる」の冒頭数ページを読み始めた時点ですでに、すっかり引き込まれてしまい、とても良い意味で「期待」は裏切られた。なにこれ超面白い!
第1巻から登場していた主人公、風変わりで謎の人物だった魞沢泉の人となりを肉づける様な過去のエピソードが今作全編に鏤められている。特に個人的に一番印象に残ったのは第4話の「ホタル計画」だ。ミステリーとしても面白いし、映画にでもなりそうなくらい人間ドラマとしての側面も奥深い。そして魞沢泉に関する重要なプロットも丹念に仕掛けられている。そうか、そういうことだったのか!
先日訪れた函館文学館に櫻田智也氏の展示があり、この本が代表作として置かれていた。函館周辺を舞台にしたこの物語は、作者本人がこの地域で生活してきた経験、思い出や思い入れも含まれているのだろう。ここで再び第1作目の「サーチラントと誘蛾灯」を読むと、見えていなかったものが見えてきてもっと楽しめるのかもしれない。
あっという間に読み終えてしまい、続編はないのか?と探したのだがなかった。文庫じゃなくても買おうと思ったのだが残念だ。次回作を楽しみに待つとしよう。
うめ婆行状記/宇江佐真理
没後7年も経過した昨年後半から、なぜか急に気になってずっと未読の宇江佐真理作品を読んできたが、これだけは本当に最後に読もうと無意識に避けていた気がする。しかし函館文学館に「遺作」としてこの本が展示されていたのを見て、今読まなくてはいけないのではないか?と思い直し、その場でKindle版を買った。
恐らく2015年11月に亡くなる直前に書かれたもので、年明け2016年の1月から3月にかけて朝日新聞に連載小説として掲載され、そのまま遺作として単行本になった。あらかじめ2016年掲載予定で朝日新聞が発注していたものなのか、亡くなった後に掲載することにしたのかはよく分からない。
20年近くにわたって書いてきた「髪結い伊三次シリーズ」がまだ未完である中、どんな思いでこのを文章を書いていたのだろうか? 巻末に掲載された諸田玲子さんによる解説にあるとおり、本作の主人公である「うめ」には宇江佐さん本人の晩年の気持ちや死生観が重ねられているとしか思えない。
とあるレビューサイトには「そんな背景は知らないほうがよかった。解説を読んでなんか醒めてしまった……」という感想も書かれていて、それもそうかもしれないと思った。軽妙な娯楽作品として十分に面白いのに、実は裏にそんな重い話があるなんて知らない方が良かった、いうことだろう。
しかし「小説を本当に理解するにはその作家の人生を知るべき」とは宇江佐さん自身の言葉なので、やはりこの作品は乳癌により60代で亡くなってしまった宇江佐さんが最後まで書いていた遺作である、と言うことを抜きに読むべきではないのだろうと思う。そうでなくてはこの小説の幕切れの仕方を理解できないではないか。
なお、上に書いたとおり当初はKindle版を購入したのだが、読み終えてからこれはちゃんと「本」で持っておきたいと思い、単行本も買いなおした。まだ若干の未読作はあるが、これを持って個人的に宇江佐作品とは一区切りをつけようと思っている。
敵討ちか主殺しか 物書同心居眠り紋蔵(十五)/佐藤雅美
佐藤雅美さんの代表作「居眠り紋蔵シリーズ」の最終刊。単行本が出たのは2017年と5年以上前のことだが、文庫化されたのは2021年のことだ。
そして佐藤雅美さんも残念ながら2019年に亡くなっており、このシリーズも完結しないまま終わってしまった。時代物に限らず小説のシリーズものというのはそいういう事が多くて、明確な完結を迎えるほうが珍しいかもしれない。
佐藤雅美さんの時代物小説はとにかく考証が細かく丁寧であることが特徴だ。それは娯楽作品として人気があり、NHKでドラマ化までされたこの「居眠り紋蔵シリーズ」でも同じで、江戸時代中期から後期にかけて、町奉行所による江戸の治安維持活動がどのよな仕組みの下に行われていたのか、正確な考証によって非常に丁寧に描写、説明されている。
捕物帖は時代小説の一大人気ジャンルではあるが、けっこうファンタジーものも多い中で、とにかくこのシリーズは異色のリアリティとトリビア的面白さを持っていた。そして紋蔵一家の人間模様、家族ドラマとしての面白さも兼ね備えていた。それはこの15巻でも変わっていない。
いずれにしても自分自身の歴史観、特に江戸時代から明治維新にかけての理解は多分に佐藤雅美さんの影響を受けている。と言うかほとんど受け売りをしている。それらの受け売り知識は、仕事には役に立たないかもしれないけれど、十分に自分の生活を豊かにする糧になっていると思う。
小説を楽しみながら歴史の勉強が出来るのだからこんな良いことはない。大人になってから見つけた、優れた先生と教科書であったと思う。