新型Kindle Paperwhiteで「髪結い伊三次捕物余話」シリーズを読み切る

2023-01-13

 年明けのAmazon初売りセールでKindle Paperwhiteを買った。今まで使っていたやつは2015年に買った第6世代(発売は2013年)で相当に古いものだった。それでも実使用上で特に何か問題があったわけではない。

第11世代 Kindle Paperwhite のパッケージ

 しかし一昨年10月に新しいKindle Paperwhite(第11世代)が発売されたというニュースを見て、そろそろ買い換えても良いのではないかと思っていた。……思ってはいたのだが、そのまま1年以上忘れていた。2023年の初売りセールの対象製品リストの中にKindle Paperwhiteを見つけるまでは。

7年ぶりの新型Kindle Paperwhite

 初売りセールで買ったのは普通のKindle Paperwhiteの広告なし8GBモデルだ。広告なしは必須として容量はちょっと迷ったのだが、小説しか読まないので大容量は不要だ。ワイヤレス充電と自動調光で+4,000円は高いと思ったのでシグネチャーエディションにはしなかった。

 該当モデルの通常価格は16,980円ほどだが、広告ありを許容すれば2,000円ほど安くなる。逆に容量を16GBにしても1,000円しか高くならないから、ケチらないで16GBにしても良かったかも知れない。

 2023年の初売りでは本体に加えて↑これらの純正ファブリックケースと保護シート付きのセットで18,510円だった。

 実のところ蓋付きのケースがあれば保護フィルムは不要だと思ったので、その部分は余計な抱き合わせだったのだが、初売りセールはポイントも割り増しだったので、どっちにしても1,000円くらいは得をしているのではないかと思う。
 
Kindle Paperwhite gen11 vs gen6

 これまで使っていた第6世代と並べてみた。言うまでもなく左が古くて右が新しい。新型は画面サイズが大きくなり、解像度も上がった。むしろ余白が少なくて誤タッチが増えてしまうのが心配なくらいだ。筐体は縦横は大きくなったが厚くはなっていないし重たいとも感じない。

 新品だからかも知れないが、画面は明るくより白くなっている。さらに第11世代では色調調整が可能なので、背景が白すぎて眩しい場合は黄色味を加えることが出来る。しかもスマートフォンのナイトモードのように、時間や日没に合わせて自動で変更することも可能なので、通勤中に電車の中で読むときは白く、寝る前にお布団の中で読書する場合には黄色味を帯びた色にしておくことが可能だ。

Kindle Paperwhite

 あと、充電端子がUSB type-Cになっているので充電ケーブルの心配もない。とは言えPaperwhiteは数週間単位で電池が持つので、あまり出先で電池切れになると言うことはないのだが。

 ただし、2週間ほど使ってみてのざっくりした感想としては、思ったほど軽快動作にはなっていない。特にスリープからの復帰はむしろ遅くなった気がするし、ページ送りの遅さも変わってないか、むしろ遅くなってるのではないかと思う。だから、焦ってダブルタップしてしまうことが絶えない。プロセッサの進化ではどうにもならない部分なのかも知れないが、その点は少し残念だ。

 なお個人的には本を買うのに電子書籍にも紙の本にも特にこだわりはない。電子書籍化されない作家のものはもちろん紙で買うし、両方あっても紙で買う場合もある。その逆もある、という状態だ。紙には紙の良さがあるし、電子書籍には紙とは違う良さがもちろんある。読書体験としてどっちが優れている、という差はないような気がしている。
 

髪結い伊三次捕物余話シリーズ 第9巻〜15巻/宇江佐 真理

 新しいKindle Paperwhiteを買う気になったもう一つの理由は、昨年11月に宇江佐真理さんの代表作である「髪結い伊三次捕物余話」シリーズの未読分7冊を一気に大人買いしたせいもある。

 第8巻を読んだのは相当昔のことで、細かいことはほとんど覚えていない。シリーズものは過去エピソードや登場人物のキャラクターなどの理解が重要なので、もしかしたらいまさら途中から再読はできないのではないか?と思っていたのだが、結果的に何とかなった。

 というのも、第8巻末で32歳だった主人公の伊三次は、第9巻の冒頭で42歳になっているのだ。いきなり物語中の時間が10年飛んでいて、物語は半分くらいリセットされているので、再開するにはちょうど良いタイミングだった。

 なお10年時間を飛ばした理由は「あとがき」に書かれている。要するに宇江佐真理さんは自身がかなり状態の悪い乳癌に冒されていることを知り、自身の寿命が尽きる前に伊三次シリーズを完結させなくてはならないと思ったのだろう。

 だからなのか第9巻以降は生と死にまつわる話が多いと感じる。物語の中で死にゆく人、生まれてくる命、親と子、夫と妻のあいだにある情愛の機微について、その文章がとても饒舌で説得力を持って感じられ、これは物語中の登場人物の声ではなく、宇江佐さんの声そのものなのではないか?と思ってしまうのだ。

 そして第11巻までは巻末にかならず「文庫版のためのあとがき」がついていたのに、第12巻にはそれがない。あぁ、この本が文庫化されたときにはもう宇江佐真理さんは「あとがき」を書けなかったのだ、ということが嫌でも分かってしまう。そのショックは予想以上に大きい。

 宇江佐真理さんは以前に何かのエッセイで「藤沢周平の作品を理解するには、藤沢周平という人がどういう人で、どのような人生を歩んできたのかを知るべきだ」と書いていた。その時は「作家の人となりを知らなくても、良い小説はその文章とストーリーだけで十分楽しめるはずだ」と思っていたのだが、今は宇江佐さんの意見に深く同意する。

 「宇江佐真理の作品を理解するには、宇江佐真理という人がどういう人で、どのような人生を歩み、どのように亡くなっていったのか、ということを知るべきだ」と。

 もちろん、赤の他人である人のことを本当に知ることなど出来ようがない。しかし、宇江佐真理さんが作家としてこの世に残した文章はたくさんあり、特にエッセイなど自分の作家活動や作品についての言葉を多く残した人だと思う。だからそれらをできるだけたくさん読み、そこから感じ取れる自分なりの「宇江佐真理像」を持った上で、この髪結い伊三次捕物余話シリーズの後半を読むべきだと思う。


 

 

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