ちょっとした野暮用があって岡山に行ってきた。スケジュール的に空き時間が少しできそうだったので、カバンの中には日本100名城スタンプ帳を忍ばせて行ったのだが、その目的はもちろん岡山城だ。駅前から路面電車に乗って5分ほど。そこから10分も歩けば岡山城に行き着く。
岡山城を訪れたのは初めてではないのだが、ちょうど前回は日本100名城スタンプ集めをはじめる直前だったので、スタンプラリー的には未登城となっていたのだ。過去に訪問歴のある城にスタンプのみ目的で訪ねていくモチベーションはなかなか出ないものだが、何かのついでだったら問題ない。
岡山城と後楽園を隔てる旭川。月見橋という風流な名前の橋が架かっているが、この橋自体は古いものではない。桃型のボートがかわいい。
天守のある本丸跡から見ると恐らく裏手に当たる廊下門から中に入る。城攻めは久しぶりだ。
廊下門から入ったら天守へ急がずに右に寄り道しなくてはならない。ここに何気なく建っているこの櫓は、岡山城にほぼ唯一残る現存建築物であり国の重要文化財となっている。
岡山城は他の城と同じように明治になって城としての機能を失うとともに多くの建物が破却されたが、天守はずっと残っていた。その天守が失われたのは太平洋戦争末期の昭和20年6月。天守のごく近くに建っていながらこの月見櫓だけは焼失を免れたものだ。とても尊い。
表書院脇の石垣を眺めながら進み不明門を抜けるといよいよ天守前の広場(本丸跡)に出る。
ということで天守までやってきた。戦禍で失われた広島城、福山城、名古屋城などと同じように、昭和40年前後に外観復元されたもので、実態はコンクリート造りだが外観はかなり正確にオリジナルを模している。5層で規模も大きく左右に幅があって安定感のある美しい姿をしている。
豊臣政権時代の城らしく外観は真っ黒でこの城の成り立ちの時代性と格式の高さを感じる。昭和20年まで実物があったと言うことで写真や資料はたくさん残されているようだ。オリジナルはどんなに風格があったことだろうか。つくづくも戦禍で焼失してしまったことが惜しい。そしてまだ現存している12城の価値を改めて感じざるを得ない。
建物の中は岡山城と岡山という都市の成り立ちに関する歴史博物館(有料)になっている。宇喜多氏が建てた城は、関ヶ原の合戦を経て小早川氏が継ぎ、江戸時代はずっと池田氏が治めるに至ったさまざまな出来事が解説され、史料が展示されている。
そして金の鯱というと名古屋城が有名だが、岡山城に同じように金鯱がある。天守の高層階から金鯱越しに眺める城下はどんなものだっただろうか?
焼失した天守の礎石が場所を移して展示されている。ふむふむ……
裏側から入ったので最後になってしまったが、本来の正面入り口となる内下馬門跡の枡形に残る鏡石。高さはないがなかなか立派な巨石が置かれている。しかも何かデザインされているようで格好イイ。
ということで、無事に岡山城のスタンプを押すことができた。日本100名城スタンプはわりと厳重に管理されているところもあるのだが、岡山城では博物館内ということもあってかわりと無造作に置かれている。オリジナルのスタンプではなくレプリカっぽいのでまぁ良いのかもしれない。とはいえ「Free Stamp」という英訳はどうかと思うのだが。
閑話休題。1年以上休んでいた日本100名城めぐりだが、これでやっと55城目。のこりは45城。また何かのついでということもあるかもしれないが、これ以降はかなり強い意思を持って旅の目的とに設定しないとなかなか訪れることがなさそうな土地ばかりだ。タイトルには「再開」と書いたが、本当に再開を決意しているわけではない。でも、そろそろなんとかしたいと思っている。
岡山城から岡山駅への帰りは路面電車やバスは使わず、ブラブラと街中を歩いて戻った。特に何があったわけではない。普通の地方都市の繁華街という感じだ。でもこういうのが良い。
詳しいことは割愛するが、岡山は全く知らない土地ではなくて、それどころかむしろ自分の人生に非常に大きな関わりがある地でもある。一緒に飲みに行こうという同行者の誘いを断って、「オレの左手に残るこのナイフの傷を縫ってもらったのは多分この病院だったはず……」などと、中二病みたいなことを考えながら少し思い出の地を巡ったりして、ちょっとしたセンチメンタルジャーニーでとても良い時間を過ごした(by 50代男性)
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