桜の名所として有名な高遠城趾で紅葉狩りをする

2022-11-13

 すっかりペースが落ちてしまった日本100名城スタンプ集めだが、決して飽きたとか諦めたわけではない。今夏に群馬県の箕輪城で50城目に到達したところだが、後半戦の最初の51城目は長野県伊那市にある高遠城へ行ってきた。

 東京から車でふと思いつきで日帰りする気になれる範囲内では最後まで残っていた城だ。伊那市と聞いてもっと遠いと思っていたのだが、よく地図を見てみれば諏訪から一山越えるだけ。距離にして230km少々、時間にしても3時間半ほどで行ける。なんだ、意外に近いではないか。

高遠城趾の紅葉とPEUGEOT 308SWNikon Z 5, NIKKOR Z 24-120mm f/4 S(30mm), f8.0, 1/160, ISO100
 東京を早朝に出発してやってきた。高遠城と言えば春の桜の名所で有名だが、秋も紅葉が綺麗で「もみじ祭り」を開催している。休日と土曜日に挟まれた飛び石の平日だったが、そんなに混んではいなかった。

 「もみじ祭り」用に巨大な臨時駐車場が開いていて、到着した時点でガラガラだったので、駐車場周辺の紅葉と308の記念写真は撮り放題だった。天気も良くて超綺麗!
 

高遠城のInstagramフレームNikon Z 5, NIKKOR Z 24-120mm f/4 S(39mm), f11, 1/125, ISO100
 二の丸跡に最近よくあるInstagram風のフレームが立っていた。顔ハメの進化バージョン…… と言うのとはちょっと違うか。良く見ると”Inastagram”(伊那スタグラム?)と書いてあってけっこう芸細だ。

 なおInastagram顔ハメ記念写真はちゃんと撮ったが、ここでお見せすることは出来ない(誰も見せろと言ってない)。
 

桜雲端と問屋門Nikon Z 5, NIKKOR Z 14-30mm f/4 S(16.5mm), f11, 1/100, ISO110
 二の丸から本丸へ渡る桜雲橋の先には問屋門がある。昭和になってから城下町から移築されたもので、現存建築物というわけではないようだ。
 

太鼓櫓Nikon Z 5, NIKKOR Z 24-120mm f/4 S(26.5mm), f7.1, 1/400, ISO100
 本丸にある太鼓櫓。これも明治になってから作られたもので、高遠城が現役だった時のものではない。あと城跡にありがちだが神社もあった。

 高遠城趾は全体的にこんな感じで、櫓などの建築物や石垣など城郭としての往時を偲ばせるような明確な遺構というのはあまりない。しかし中世関東の城らしく空堀と土塁がちゃんと残っている。
 

外堀Nikon Z 5, NIKKOR Z 14-30mm f/4 S(15mm), f8.0, 1/125, ISO100
 外堀の底に降りてみた。明治に廃城になって以降すでに堀は3mくらい埋まってしまっているらしい。それにしても紅葉が綺麗だ。
 

内堀の池Nikon Z 5, NIKKOR Z 14-30mm f/4 S(19mm), f11, 1/100, ISO100
 内堀にも降りてみた。こちらの方がまだ深さを保ってるらしくそこそこ深い。そして一部に水がたまって池になっている。もしかしてここは空堀ではなかったのか? あるいは観光用に作った池だろうか?

 いずれにしろ紅葉のリフレクションがとても綺麗なところだったので、しばしシャッターを切りまくってしまった。
 

白兎橋Nikon Z 5, NIKKOR Z 24-120mm f/4 S(57mm), f8.0, 1/100, ISO110
高遠城本丸からの眺めNikon Z 5, NIKKOR Z 24-120mm f/4 S(46mm), f9.0, 1/250, ISO100
 高遠城と言えば桜の名所として有名だ。満開の頃は恐ろしく混雑するらしい。桜の木ばかりあるとすると紅葉は大したことないかも知れないと思っていたが、いやいやどうして十分に綺麗だった。桜の木はすでにほとんど葉を落としていたのだが。

 しかし見知らぬ人とのすれ違いざまに「紅葉はこんなもんか〜」という声も聞いた。確かにもっとすごいところは他にたくさんあるのだろう。でも良い天気と相まって十分満足できる紅葉狩りだった。
 

高遠歴史博物館、絵島囲屋敷の看板Nikon Z 5, NIKKOR Z 24-120mm f/4 S(51mm), f5.6, 1/320, ISO100
 さて、高遠城と言えば桜や紅葉の名所というだけでなく、江戸時代の歴史をちょっとかじった人ならすぐに「絵島事件」を思い出すはずだ。詳しくはWikipediaの絵島生島事件のページを読んで欲しい。

 七代将軍家綱の時代、江戸城の大奥で起きた大スキャンダル事件で、大奥に渦巻く女達の派閥争いと嫉妬と裏切りと疑心暗鬼、人気歌舞伎役者との許されざる恋、男と女の情のもつれ、将軍後継を巡る官僚達の権力闘争などなど、まさにドラマチックな展開とあらゆる時代劇的エンターテイメント要素が渦巻く大事件だ(だいぶ脚色されて虚実入り乱れているようだが)。

 その中心人物であり罪を問われた筆頭大年寄の江島が最終的に遠流に処せられ、事件後から亡くなるまで約28年間閉じ込められていたのがこの高遠城だ。
 

絵島囲屋敷入り口 絵島囲屋敷格子

絵島囲屋敷の座敷Nikon Z 5, NIKKOR Z 14-30mm f/4 S(18mm), f8.0, 1/100, ISO560
 高遠城址公園の南側にある高遠町歴史博物館には、江島が押し込められていた囲屋敷が再現されている。とても立派な屋敷だが座敷は格子ですべて覆われており、あらゆる自由が奪われていたことが分かる。しかし罪人とは言え江戸城大奥の筆頭大年寄だった人物であり、当時の高遠藩はその取り扱いに相当神経をすり減らしたようだ。もちろん大金も費やしたことだろう。

 絵島本人にとっても、罪はないとは言えないものの、ある意味権力闘争のスケープゴートにされた面もあり、江戸から遠く離れた高遠まで流されて閉じ込められることに納得していたとは思えない。この囲われた座敷の中でただ生きていただけの28年間はどのようなものだっただろうか?
 

進得館Nikon Z 5, NIKKOR Z 14-30mm f/4 S(18mm), f11, 1/100, ISO125
 さて、城址公園を挟んで絵島囲屋敷とは反対側の山側にもう一つ見所がある。それは高遠藩が幕末期に作った藩校、進徳館だ。江戸後期から幕末期には水戸の弘道館を初めとして各藩が藩校を作る一大ブームが起きたが、これもそのひとつのようだ。

 修復や改築はされているのかも知れないが、基本的には現存建築物のようだ。中に入ることは出来ないが、周囲をぐるっと一周しながら中の様子をのぞき見ることが出来る。

 あとその横になにやらうち捨てられたかのようにボロボロの門が立っていた。門の奥に特に何かがあるわけではなく草むらに忽然と建っていた。私有地のようにも見えたので写真も撮らず素通りしてしまったが、それはどうやら高遠城の旧大手門だったらしい。移築される際に改築されていて往年の姿ではないそうだが、高遠城にとっては数少ない重要な遺構建築物ではないか!

 日本の観光地や文化財は周辺を整備しすぎてやたらに看板や石碑やらなんやら立て、雰囲気を台無しにしがちなことに文句を言ったこともあるが、一方でこの旧大手門のように何も表示をせず周辺を整備しないと、見ただけでは価値が分からず、下調べもしていないからそのまま素通りしてしまう(自分のような)観光客がそうさせているのだと痛感した。
 

高遠城スタンプゲット

 ということで、高遠城のスタンプをゲットした。これでトータル51城目で長野県はすべて制覇した。
 

 もう自宅から日帰りで気軽に出かけられる範囲は行き尽くした。あとは東北、北陸、山陰、南九州あたりがごっそり残っている。しっかり計画を立てて数日かけて車で巡るのも良いし、飛行機でひとっ飛びもありだろう。あと10年……で終えられるかどうか分からないが、ここからが正念場だ(なお続100名城を開始するタイミングを計りかねている)。
 


 

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