昨年秋以来、約10ヶ月ぶりの100名城スタンプ集めに出かけてきた。コロナ禍に振り回されて再開するといったそばからまた休止してしまい、この3年くらいはすっかり停滞してしまっている。
しかし、今回でちょうど50城目となり折り返し地点を迎えた。その記念すべき100名城は群馬県の高崎市にある箕輪城跡だ。土塁と空堀で平地に作られた典型的な中世から戦国期にかけての関東の城跡で、廃城から400年経ちほぼ自然に返りつつある「兵どもが夢の跡」的城跡だ。
Nikon Z 5, NIKKOR Z 14-30mm f/4 S(14mm), f8.0, 1/125, ISO100
Nikon Z 5, NIKKOR Z 14-30mm f/4 S(14mm), f16, 1/100, ISO160
とても良く晴れた夏のある日、駐車場に車を停めて真っ先に向かったのは郭馬出と呼ばれるエリア。ここには復元された櫓門と深い大堀切を見ることができる。
この櫓門は発掘された礎石跡から想像で再現されたもので、戦国時代以前の関東にこれだけの大きな門があった城跡は他にないらしい。すごい!
Nikon Z 5, NIKKOR Z 14-30mm f/4 S(16mm), f8.0, 1/160, ISO100
二の丸と郭馬出にかかる土橋を大堀切の底から見上げる。上から下を見ると大したことないようでいて、下からはものすごい圧迫感がある。この大堀切がいかに大きな堀であるかが実感できる。
Nikon Z 5, NIKKOR Z 24-120mm f/4 S(24mm), f8.0, 1/100, ISO180
本丸跡に立つ石碑。箕輪城の100名城スタンプの意匠にも使われているやつだ。多くの城跡がそうであるように本丸跡は広大な広場になっていて何もない。
この城は特に戦国時代末期に廃城になって久しいので、特に何もない。400年間このままだったのだろうか?一度は開発されたり畑になったりした時期があったのだろうか? その辺の経緯はよく分からない。
Nikon Z 5, NIKKOR Z 14-30mm f/4 S(14mm), f8.0, 1/100, ISO1600
御前曲輪跡の隅っこにある石碑群。城跡にはなぜか色々な石碑がありがちだ。ここには時代がまちまちの大小の石碑があって、中には江戸時代の後期に建てられた芭蕉の句碑があった。彫られていた句はかの有名な「夏草や兵どもが夢の跡」だ。
松尾芭蕉がこの句を詠んだのは平泉だと習った記憶があるが、たしかに江戸時代にはすでに廃城となって200年くらい経過したこの城跡も、まさにこの句にぴったりな風情だったので立てたくなったのだろう。
Nikon Z 5, NIKKOR Z 14-30mm f/4 S(14mm), f18, 1/100, ISO1000
気がつくと掘切の底を歩いていた。ほとんど獣道のようになっていて、周囲を高い土の壁と木々に覆われ、こんなに良く晴れた夏の日なのに、何となく薄暗さを感じてしまう。
こんなに草深い中だというのに、東京から暢気にやってきた観光客(=自分)は、半袖短パンにサンダルという出で立ちだ。しかも虫除けすら持っていない。蜘蛛の巣にときどき絡まれながら虫に刺されまくり、汗だくで掘の底を彷徨っていた。攻めるなんて想像もつかない。
Nikon Z 5, NIKKOR Z 14-30mm f/4 S(14mm), f8.0, 1/100, ISO110
本丸と蔵屋敷の間の掘切に架けられた木橋を掘の底から眺める。この木橋はもちろん復元されたものだが、礎石などが残っており、それらの遺構からこのくらいの規模の橋が架かっていたと想定されるそうだ。
このあとちゃんと堀の上に戻って橋も渡ってみた。というか、橋の上に出る方が正しい順路で、掘の底を歩いていたのはやはりミスコースだったらしい。迷子にならなくて良かった。
Nikon Z 5, NIKKOR Z 14-30mm f/4 S(23mm), f5.6, 1/100, ISO1250
箕輪城は1500年頃に長野氏が最初に築城したものの、その後戦国期においては武田、織田、北条、徳川と、戦国時代の荒波に揉まれて領主が次々に変わっていったそうだ。そして最終的に築城から約100年後に井伊直政が最後の城主となったという歴史を持つ。
そしてその井伊直政によって築城の最新技術が導入され、石垣が新たに作られるなど大改造されたということで、その石垣が一部に残っている。しかし井伊直政はわずか数年後にこの箕輪城を捨てて高崎に移ってしまう。それ以来ずっとここは城跡のまま400年が経過しているわけだ。
Nikon Z 5, NIKKOR Z 14-30mm f/4 S(19mm), f6.3, 1/800, ISO100
幕末まで現役で使われ、建物が現存していたり、大きな石垣が残っていたりする城跡も良いが、こうして自然に返りつつあるうち捨てられた城跡もとても良い。街や畑の下に埋まらず、風雨にそのままさらされて残っているというのが本当に素晴らしい。
ちょうどテレビで放送された「天空の城ラピュタ」を見たばかりだったので、空にこそ浮かんでいないけれど、想像力が働きすぎて苔むしたロボットの姿をつい探してしまう。
Nikon Z 5, NIKKOR Z 14-30mm f/4 S(18mm), f6.3, 1/100, ISO140
箕輪城の南端に法峰寺というお寺がある。ここは城が現役だった時代は縄張りの内側でお寺は移転させられていたそうだ。水の手曲輪と呼ばれ、どうやら水が出る場所だったらしい。それは城にとっては重要な施設だ。
その後お寺はここに戻って今でも現存している。とくにこの観音堂はすごく趣があって良い。人気がなくて何となく寒気がしてくるような張り詰めた雰囲気があった。
ということで、箕輪城を見学し50個目のスタンプをゲットした。ちょっとインクつけすぎてしまったけど。
なお箕輪城のスタンプは城跡現地ではなく、車で5分くらい市街地に戻った高崎市箕郷支所に置いてある。箕輪城自体は24時間いつでも出入りできるが、スタンプは市役所がやってる時間にしか押せないので注意が必要だ。いかにも地元住民のための市役所のカウンターに行って「100名城スタンプ押したいのですが…」と言うのは初めての経験だ。でも対応してくれたおじさんはとても優しかった。
Nikon Z 5, NIKKOR Z 24-120mm f/4 S(110mm), f4.0, 1/1600, ISO100
駐車場の脇の畑にはヒマワリが綺麗に咲いていた。そう言えばこの夏はヒマワリ撮ってないな、ということでしばしヒマワリを撮りまくって遊んでいた。
関東には同じように戦国時代末期から江戸時代初期に廃城になった城跡がいくつもある。同じ群馬県の金山城や埼玉県の鉢形城、そして神奈川県の山中城など、それぞれに特徴はありつつも15〜16世紀の代表的な関東式城郭であり、それらが400年の時を経て自然に返りつつある廃墟となっている。この4つの城跡はセットで考えると面白いのではないかと思う。
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